匿名25歳。

25歳匿名です

遺文

私も毎日目を覚ました後に十五分間今日死ぬのかどうかを自問するのですがそれはつまり答えの出ない迷宮入りになるもので結局は何もしないまま自室を後にしてしまうのだろうと思い立ったのも束の間で近頃は死ぬのもそこまで悪くはないなと感じ始めたところにいよ々死ぬという選択は自らの自由意思に基づくと考えれば自死ということがここまで自由に富んだ行為なのだと一縷の望みに見えてきたからこそ只今から少しずつ身辺整理を始めながらどのように死ぬのかを検討していく日々にこれからは耽溺することをここに決意致すところで然し私もあくまで人間というちっぽけな生き物であるのでまあ少しばかりの自尊心があるところに果たして自死という選択が自己の尊厳を満たしてくれるであろうかやはたまた高尚な生活を営む現代人という愚弄な生き物どもに私からぬ嫉妬でも抱くのであろうかと疑心暗鬼になるのにもいやはやそんなものは最早この心酔し切った我が魂には幾ばくの兆しにもならないのであるからにたとい幾人の言動が私の極めて高尚な行為を退けようとでもするものならば今一度我が全精神を以ってして幾度もの戦いに己の魂を捧げるであろう故に私は着々と果たすべき道を愚進するばかりであるだろうと着想に浸かるのも時を得ずして粉解し幾たびと人間のような下等な生き物どもにも私とは似ても似つかぬ苦難というものもあったことは自明であるので文字の如く雀の泪程度の同情をここに表明することにより多少の贖罪にでもなるであろうが死にゆく一界の人であるところに又それも程度の自己愉悦を満たすものとして表現され得てしまうのだろうかとやたらに此の現代を横の目で評察する私が如何にも不愉快堪らない生き物なのだと感慨するとともに深々と自己思念に脳たれをこきたいところではあるけれども畢竟私も腐っても人の身であるからにこと些細でも不精な愛というものやらには何一つの小言を濁すのに臆面せざるを得ないのもそれつまりは我が魂においても人間の性という不誠実な精神が垣間見えることが紛れない事実あることをここに表意しておこうかといよ々連ね々た此の雑文にも落とすべき終末が来訪されつつあるのだがかの様にして我が魂は矮小な愚子から超越した昇華を反芻するに辺り宵の萬月に崇高な精神を手にするに相成った訳であるが再三明示するように私が此岸に生を施しつづける限り未だ人間の形をしながら宵の明けに肩身狭くしてまで現と実の狭間に足を踏み留めなければならないのであるからに足早に章末を綴ることで我が宿命に一手抗えると尚にしてその事態を請う私であるがそんな私も詰まり一人の人間であったことは他ならずで表相を取り払えばしがない小童に過ぎずに何時表裏が剥がれるかと全く見当もつかずと疑念したのも束の間で幾千と自己の葛藤には苦悩してきた末に諮らずも私も孤独をそなえ寂寥を抱えた人間という生き物であるのは疑いもせずただ確かな結果であろうからして佗しき一個人の拙劣に悲愴を露わにするその絶望を今ここに戦意させて貰えぬかと存ずるのでありそして明日を勇ましく生き伸びるかくして以来及び将来の同胞達に対する共鳴を以下に銘ずるのである其之一孤独こそ愛あるものとして自己を寵愛するに拠り他者への愛へと昇華し同胞への手となり足となり延いては自己をも昇華させる唯一無二の愛となる其之二同胞が昏迷を極めようときにはその愛で暗道を照らす一手に徹するに拠り同胞との一角を占める精神的支柱が確立され延いては極めて高尚な共闘精神が生産される其之三自己存在を肯定し感謝の念を思念し続けることに拠り他者存在にも有義を再認し延いては同胞との連鎖的な幸福が結実する其之四人生に絶服した瞬間こそ勇猛果敢に奮い立ち上がり至上な姿勢で毅然に立ち振る舞うことに拠り暗雲低迷な余生にも千万の明かりを舞い込ませ延いては人生の大局を摑み取る希少栄光な瞬間が舞い降りる其之五生きとし生けるもの森羅万象共々が穢れなき好き人道を歩み進める代え難き幸福な人生を過ごすことが私の誠な願いであり誠な希望であり何より私並びに同胞達の大切な幸福に繋がるのであることをここに宣言す。
以上字数過不足千七百にして我が遺書を此の場に記す又葬儀は行わず火葬のみにて死者への弔いは一切拒否し遺骨の手配は属人の意向に一切を託す又死事に掛かる火葬代等の金銭は当人の預金から捻出しその他の一切の当人における財産は孤児支援及び児童養護及び児童学習支援に尽力する団体、組合、集団に全額寄付又は全額を物資他勉学道具等にて供給することを当書の責任者に命ずる。日付平成三十年六月十一日。本書当人より。